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河西回廊的简介
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西夏
  北方を制圧した遊牧民族王朝?遼、南方の宋朝(北宋)という二大国の国境線を西方から引き裂くように食い込んでいる国がある。チベット系タングート族の王?李元昊が1038年に建国した西夏だ。現在の寧夏回族自治区を中心に版図を広げている。

  西夏軍騎兵は、伸びきった宋軍戦線の弱点を突破していったという。20世紀でいう「電撃戦」だった

  西夏は、東の大国に肩を並べつつ、二百年近くも存続した。戦上手だっただけでない。漢文化を移入しながら、漢字に似た独自の文字(西夏文字)を創造し、甘粛省?敦煌の莫高窟にも多くの壁画を残した。
                    
  この国の栄華を今に伝えるのが、銀川郊外にある西夏王陵だ。九座の王陵、200以上の陪葬陵の巨大な土盛りが、「塚」というものの原初的な姿を伝えるかのように、原野に散らばっている。

  この土盛りはかつて、見事に装飾された「塔」だったという。李元昊陵と推定される最大陵の土盛りは、五層の塔だったとされ、高さが約二十メートルもある。

  この土盛りはかつて、見事に装飾された「塔」だったという。李元昊陵と推定される最大陵の土盛りは、五層の塔だったとされ、高さが約20メートルもある。

  西夏語は、11世紀半ばに党項(タングート)族によって建てられた西夏国の公用語である。

  党項という民族の名は、すでに6世紀末には中国人に知られていた。現在の青海省東南部、河西と呼ばれる地域に、いくつかの部族に分かれて居住していた。最も有力なのが拓跋氏であった。その後党項族は、8世紀初頭、唐の開元年間に吐蕃の圧迫などが原因で、オルドス南部、現在の内蒙古自治区?寧夏回族自
   治区?陝西省が境を接するあたりに移住する。この時期、党項族は東山部?南山部?平夏部に分かれていた。

  唐末に至り、平夏部の拓跋思恭は、黄巣の乱の鎮圧に力を貸したため、唐の皇帝から夏国王に封じられ、夏綏宥?静の五州と李姓を賜わった。この事件が、のちの西夏国建国の基礎となる。
 
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