三国と隋朝
内乱の末、後漢は220年に滅び、魏、蜀、呉が対立する三国時代に入る。三国時代からおよそ四百年、唐にいたるまでの間は、中国の分裂期である。西域の経営は未曽有の衰えを呈した。そして北方では、匈奴の遊牧帝国が滅んで空虚になったモンゴリア高原に東方から烏丸、鮮卑などというトング-ス系の種族が侵入してくる。彼らもまた遊牧民で、後漢末期の争乱に乗じて北中国に侵入した。そのころ鮮卑に檀石槐(だんせきかい)という英雄が出現し、ほとんどモンゴリアの全土を征服して、一時は匈奴の再来を思わせるものがあった。しかし彼の死後、この征服国家はまもなく崩壊してしまった。
三国時代の魏はいまの中国の北部一帯を領域としていたので、西域との接触があり、天山南路の亀茲(クシャ)、疎勒(カシュガル)、于てん(ホ-タン)、ぜん善(チャルクリック)や天山北路の烏孫などと通交していた。またさらに西方の唐居(キルギス草原)やクシャンとの接触もあったらしい。三世紀の半ばころには、北中国は魏にかわって西晋に支配されることになる。西晋もまた西域との通交をつづけ、東トルキスタンのオアシス国家のみならず、西トルキスタンの大宛(フェルガ-ナ)とも交渉を持った。しかし西晋の建国後半世紀もたつと、北方遊牧民はまた活動を開始し、多くの種族があいついで侵入し、その圧迫の下に西晋の元帝(317年-322年)は揚子江を渡って南遷しなければならなくなった。
それ以後、約一世紀の争乱時代がつづき、いろいろな遊牧部族が北中国を占拠する。この時代を五胡十六国という。これは五つの西北の種族が建てた十六か国という意味である。
六世紀の後半のころ、中国では分裂時代の南北朝の末期にあたる。この時代の突厥は数十万の騎兵を擁する中央アジア第一の強国になっていた。後漢以来分裂を続けていた中国では、ようやく統一の萌しが見え始めた。突厥はそれまで中国の分裂を利用して、北中国に国を建てていた北周や北斉を脅かして莫大な貢物を取り上げていた。
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2001年10月
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