用户名:
密 码:
 登録
サイン
 
盛唐と貿易路
半坡
西周
春秋、戦国、秦時代
秦時代
漢時代
唐時代
 
 
 
盛唐と貿易路
 唐は中国歴代のうちでもっとも繁栄し、栄華を極めた王朝といわれている。唐の初期すなわち七世紀は征服と遠征の時代であった。東方では渤海(満洲)、高句麗(朝鮮)、東突厥を降し、西方では西突厥を破り、東トルキスタンを完全に収め、東西の通商貿易を確立した。同時に国内では中国南部を名実ともにその領域にいれ、進んでインドシナ半島も勢力圏とした。このように領土、勢力範囲を広げるとともに、国内の諸制度を整えた結果、経済は未曾有の繁栄を来し、文化は急激に上昇した。

 七世紀になると、貞観の治によって、財政が豊かになった高宗時代、全国では、大宮殿や城壁や運河や寺や廟など、その他の大建築工事がおこなわれた。

 八世紀になると、唐はその栄華の頂点を極め、経済と社会が安定して、多くの大都市も成立した。その時の唐を盛唐といわれた全盛時代、みやこ長安には世界各地から商人や使節がやってきた。唐はもう世界の文化、経済の中心地になった。唐の貨幣制度の発達は国内の経済活動を刺激し、大規模で専門化した商業と対外貿易が可能になった。外国との通商には交通路が必要である。唐代の世界、主な西方の貿易ル-トには陸路と海路があった。

 陸路すなわちシルクロ-ドから来た人たちもいたし、海路から来た人もいた。人間だけではなく、その人たちの文明や思想もはいってきたのである。

 十九世紀の大地学者フォン リヒトホ-フェンが「絹の道」と呼んだのは中央アジア経由の東西交通路すなわち唐の貿易路であり、シルクロ-ドである。唐の隊商の大部分は長安から安西、ハミ、トルファン、クチャを経てタリム盆地の南辺を通り、カシュガルにいたり、そこから西トルキスタンのフェルガナにはいったものである。このほか天山山脈の北を通ってフェルガナ北方のタラスに出る道もあった。しかし地勢と距離から見て、隊商は天山の南を通るのが普通であったと考えられる。草原、砂漠の旅というものは、ロマンティクに聞こえるが、楽なものではない。

 海路の東西交通路とちがって、季節風を待つ必要はない。といっても真冬には事実上、旅行は不可能である。酷寒と吹雪で高山を越えることはできない。遊牧民も冬は西北風をさえぎる山陰の低地に冬籠りをするのである。それでも海路に比べては、規則的で多少は安全な旅にちがいない。隊商は船ほどの輸送力はない。また陶器のような重くて、こわれやすいもの、重量や容量の大きいものは商売上あまり引き合わない。だから織物、金属器、毛皮、宝石、貴石、薬品などが主な商品であった。

 砂漠、草原の道以外に唐から北インドを経て西トルキスタンに通ずる交通路があった。これはすでに漢の張騫の遠征によって知られたが、唐代には多少は利用されていた。この道は四川から雲南を経由してイラワジ河上流の溪谷をたどってビルマ、北インドに出ていた。しかし当時の雲南はチベット、ビルマ系の未開な蛮族の住む地で、唐の威令に服さなかった。そのうえ八世紀にはここあたりに南詔という国ができて、ビルマと結ぶ唐に抵抗したので、なおさらこの交通路の使用は困難になった。九世紀の後半に南詔が中国南部に入寇し、かえって敗れたので交通路はひらけたが、その後こんどは唐がだんだん衰えてきた。

 
 
© 1997-2007 中国シルクロードサイト, 著作版権を持つ
© 1997-2007 www.travel-silkroad.com, All Rights Reserved
シルクロードLogo、シルクロード、Travel Silk Road和Silk Road Travel北京シルクロード展覧展示サービス株式会社登録したブランドである.
The Logo of Silk Road, Silkroad, Travel Silk Road and Silk Road Travel are trademarks of Oriental Travel Silk Road Exhibition Services Co., Ltd.