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西域とは
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西域2
漢民族は古代より北のモンゴル高原から華北オルドス地方(黄河北の草原地帯)へ侵入を繰り返す北方騎馬民族との戦いを繰り返してきた。それらの北方騎馬民族の中で、中国で言うならば秦、漢の時代、その勢力を強め、強大な騎馬民族国家を作り上げたのが"匈奴(きょうど)"である。中国に初の統一王朝(漢民族の勢力圏のみ。現在のチベット、新疆ウイグルなどの異民族の勢力圏は除く)を造った秦の皇帝、始皇帝は彼らを苦戦の末打ち破り、その侵入を防ぐ為、かの有名な「万里の長城」を作り上げた。
だが始皇帝の死後秦が滅び、有名な英雄項羽と劉邦が中国の覇権をめぐって争っていた頃、匈奴では冒頓単于(ぼくとつぜんう)という強力な王が現れ、彼はモンゴル高原からオルドス地方、河西回廊(ゴビ砂漠と祁連山脈の間。あの有名な敦煌を擁す)からタリム盆地までの広大な砂漠地帯、更には東の満州までを統一し、東アジア北部から中央アジア東にかけて一大騎馬民族国家を作り上げた。項羽を討ち破り、漢帝国の高祖となった劉邦は晩年、その冒頓単于率いる匈奴軍と直接対決し、彼自身討ち死に寸前となるほどの大敗を喫している。その結果漢は匈奴に毎年絹などの貢物を無償で送ること、匈奴の単于(王のこと)に代々漢の王室から嫁を送ることなどを約束させられた。それから50年位もの間、漢はその盟約を守らせられ、匈奴の尻に敷かれたような屈辱的な立場におかれ続けたのである。また匈奴は時折”その盟約が守られていない!”と言いがかりをつけ、何度も漢の領土に侵入し、略奪を働いた。
その劉邦の6代目の子孫武帝の頃、漢はその匈奴との屈辱的な関係を断ち切るべく、また匈奴との戦争を再開し、衛青(えいせい)、霍去病(かくきょへい)らの将軍が武功をあげた。その中で武帝は以前河西回廊辺りに住み、匈奴と対立していたという幻の騎馬民族月氏(げつし)のことを聞きつけ、同国との同盟および合同で匈奴を挟撃することを画策し、外交官張騫(ちょうけん)を西域(ここでは中央、西アジア全般をさす)に派遣した。張騫は月氏の国が何処にあるか全く分からず、河西回廊辺りをうろうろしていた所を匈奴に捕らえられ、冒頓単于の孫である軍臣単于の元へ送られ10年間も虜囚としての生活を余儀なくされる。だが時が経ち、その監視が形骸化すると辛くも脱出し、匈奴に討たれ西に逃れた月氏が西トルキスタンに作った王国、『大月氏国(現在のアフガニスタン周辺からパキスタン北部)』にたどり着いた。だが大月氏には匈奴と戦う意志はなく、張騫は同盟を断念しやむなく帰国した。だがその結果それまで明らかになっていなかった西域諸国(中央、西アジアなど)の事情が明らかになり、漢は西域への進出を図り、匈奴にそれまでにない程の大戦争を挑んだ。丁度匈奴ではその頃王である軍臣単于が死に、王位継承問題から起こった内紛が起こっていた。漢はそれにつけ込み、連戦連勝した。匈奴は漢の軍隊に敗北を繰り返し、それまでの植民地であったタリム盆地、河西回廊などを捨て、遙北のモンゴル高原へと去った。

 
 
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